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我々が欲しい物は何? ブルキッチ・スレイマン
「どんな世代でも新しい変革が必要」 トーマス・ジェファーソン
2002年の4月、私の妻、イタリアの友人、中年代の日本人女性友達と私は、アメリカの犯罪的な外交政策に反対するために、アメリカ大使館の前でデモをす
ることにした。そのほとんどの期間、参加していたのは我々4人だけだった(警察とアメリカ大使館が我々をどかす方法を見つけ出すまで2年以上が経過した)
が、時には他の活動家が参加したこともあった。最初、我々(4人)は大使館のすぐ前の歩道の上にいた。しかししばらくたって、我々がアメリカ大使館員に、
アメリカの外交政策によって殺された子供たちの写真を見せるようになった上、我々はガンジーと全く同じ方法を取った訳ではなかったので、彼らがだんだん我
々に対して無礼な態度を取るようになってからは、警察もその(かなり広い)通りを隔てた反対側の歩道に我々を移すことに決めた。4名の抗議者を移すのに、
30人から40人の警察官が動員された。まさしく英雄にでもなった気分!
その後ある日、30名強の抗議者に我々に加わってもらうことができた。警察犬はびっくりした様子なので、私はその状況を利用して、デモに参加していた人で
多数決を取ることにした。通りを渡って、元の歩道に戻りたい人に手を上げてもらったところ、ほとんどの人が賛成した。そこで我々の大半は通りを渡って、そ
こにいる権利があるにもかかわらず我々4人が場所を明渡さなければならなかったもとの場所に戻った!警察官の無力感にさいなまれた顔を皆さんにも見せた
かった。それは何ともすばらしい光景であった!彼らは道の真中で手を広げているだけで、我々を止めることも出来ず、なすすべもなくつっ立っているだけで
あった。さて、皆さんはこの話を大したことがないとお考えになるかもしれないが、もしこれが50万人の人々で、行動計画と"一般大衆"に訴える要求を携え
ていたとしたらどうなるか想像してみてほしい。私が言おうとしているのは、次のことである。
「最終的な権威は人民の手にあるのみ」
ジェームズ・マディソン(1751‐1836)第4代米国大統領
戦争に反対する抗議者とその他全ての活動家である我々は、社会が良くなるような変化にコミットしている訳で、意味は反対になるが、短期的な利益を得るため
に世界を破滅に導く活動と平行して行われて来た活動にこれまで携わってきた。平行して行われたと私が言う意味は、それらを取り除くすべを見つける努力をせ
ず、その横で単にデモをして抗議して来たということである。それは彼らが物を壊しているところで、我々は、本来であればそれらの要因の方向をそらせたり取
り除いたりすべきところを、単にその破片を拾おうとしているかの様に見える。
我々は、不正に対して戦うことを使命としている訳で、我々のお金を使い、人民の人民による人民のための世界をより良い世界にするための費用分を使って自分
達の犯罪的陰謀を拡大するために我々を搾取している強欲で道徳的に腐敗した政治家や帝国主義の手先の代わりとなるように口をはさむべきである。政治家と言
えば、バートールド・ブレヒトは次のように言っている。「政治家は豚である。豚と理性的な話は出来ない。棒でその鼻ずらを叩く必要がある。」我々のような
活動家は(少なくとも西洋と日本では)ずっと(一部の人は何十年もの間)抗議をし、デモを行い、平和の行進をし、パレードをし、スローガンを叫び、討議を
し、議論をし、お互いに戦ったり、お互いを無視しあったり、あれこれ要求をしたりしてきた。その結果、過去30年間で我々は何を達成したと言えるのだろ
う?我々の部隊は大きくなっただろうか?我々活動家は、いくつかの厳しい疑問を自分自身に投げかけねばならない。我々が活動を行ってきた方法、そして最も
重要なのは、その効率、有効性、その効果、我々の活動が成功する見込み、そしてこれまでの我々の活動を通じて獲得した結果はどうであったかについてであ
る。我々活動家は、活動に参加していない人々に、"部外者"に、或いはフェンスによりかかっている人々に対して、一言で言うと、一般大衆の目に、どのよう
に映っているのだろう?我々は本流を行く政党に対して実際に代わりうる選択肢と見られているのか?我々が本当に欲しい物は何なのか?我々の将来に対する展
望(ビジョン)は何なのか?我々はよりよい日本、より良いアジア、より良い世界に対する展望を持っているのか?我々の要求は何なのか?我々は共通の行動計
画を持っているか?我々の計画とは何か?
例えば、いくつかのグループが横田又は横須賀の米軍基地の前に行ってデモ行進をするならば、そこの兵士は交代でイラクに行き、違法な戦争と占領を行う中で
イラクの人々を殺している(これまでに、10万人以上のイラク人が石油のために殺された)のだが、そのグループがそこに行って、彼ら(米軍)に日本を去る
ように要求するスローガンを唱えるとすると、そのグループは日本人の多くは、実は彼らに日本を出ていってほしくないと思っていることを実感するのだろう
か?なぜだろう?理由の一つは、確かに"安全保障"かもしれないが、私の意見では、一番の理由は経済である。世界中でアメリカ軍による死者がどれだけ出よ
うとも、それらの死に(最近の例ではイラク)、日本がその共犯者ではない場合よりも共犯者である場合がより頻繁になっていっても、女の子や女性がレイプさ
れようとも(主に沖縄で)そして堕落したアメリカ兵によって引き起こされるその他の犯罪がほとんど定期的に(毎月)起こっていたとしても、これら全てのこ
とにもかかわらず、アメリカ軍は彼らと商売をする日本人にとっては非常に重要な収入源であるし、アメリカ軍基地で働く日本人も忘れることはできない。も
し、我々活動家がアメリカ軍を日本から締め出すことに成功したとしたら、その成功は恐らく同時に、収入をヤンキーの軍基地の存在に依存している日本の貴重
な何十万人、或いはもっと多い何百万人という人々の生活を経済的に危うくすることとなるだろう。かなりの数の日本の家族が自分のポケットに大きな穴が空い
たと感じるだけでなく、日本全体の経済も影響を受けることは間違いないと思われる。
もし米軍が強制的に日本から撤退させられるようなことになれば、それ(米国)はまず間違いなく残酷な方法で仕返しをしてくると考えられるが、そのひとつ
は、経済制裁であろう。アメリカは日本にとって、最も重要な貿易相手国であり、米国の尊大な陰謀に対して与えた効果的な打撃の結果がどうなるかは想像に難
くないだろう。帝国や植民地支配を自らの手で、平和的或いは恨みを残すことなく手放すことは決してありえない。彼らは常に血だらけの鼻を残す。彼らはいつ
もそうやってきたし、これからも常にそうするだろう。(日本は知っておくべきである。)また、たとえ彼らが去ったとしても、まだまだ問題の解決には程遠
い。
ベトナム・アルジェリア・コンゴ・アイルランド・アフガニスタン・キューバ・ケニア・スーダン・インド・パキスタン・カシミール地方及びその他多くの例を
思い出して欲しい。そう、レーニンがかつて有名な質問をしている、
「何がなされるべきか?」と。
我々活動家は、現在の米国と日本の(主従関係にある)"パートナーシップ(協調関係)"に対して、その代わりとなる案を持っているのだろうか?
私はより良い日本、より良いアジア、ひいてはより良い世界のために努力している全てのグループと人達に強く主張する。もし可能なら、我々は一緒になってど
うやったらアジアにおける日本(そこがそもそも日本が帰属するところなのだから)、そして世界における日本を再度新しい方向に向け、アメリカの帝国システ
ムから開放させることが出来るのか自由闊達な意見交換を行うべきと主張する。だれもが意見やアイデア、考えを言葉にして話し合うことが出来れば、或いはそ
の勇気を持てば、新しくより誠実な日本を築く手助けとなる。スターリンは「アイデアは拳銃よりもずっとより強力なものである」と言った。ここで私は、"全
ての人"であるべきと主張する。なぜならば、私はこれまで数多くの集会に出席してきたが、そこでは様々なグループの"リーダー"だけが話しをしていたから
である。もうそれはたくさんだ!我々は全員が参加すべきなのだ!そこでまず最初に我々は力を合わせる必要がある。自分たちの理想とするところがたとえ違っ
ていたとしても、できるだけ多くの人が必要だ。口論することはやめなければならない。なぜなら、そんなことをしても何にもならないからだ。反対にそれは単
に我々と我々の目的(もし我々がそれを持っているとして)にとって害になるだけであって、逆に我々の敵対者を強くするのみである。我々は手をつなぎ、その
経済的繁栄が、日本の人々の勤勉な仕事ぶりだけに依存するのではなく、おとぎばなしの世界ではそうかもしれないが、アメリカの搾取的な経済システムとの共
謀に依存している日本に対して、その代わりとなる姿を新たに与えるようなまじめで知的で且つ効率的な行動計画を立てなければならない。
我々活動家は果たして、今現在経済的な代替案を持っているのか?我々ははたして経済に対して、どの程度知っているのか?弱肉強食で、単に利益にのみ動かさ
れ、人を食い物にして戦争をすることで成り立っている現在の資本主義に代わる経済的代替案。単に金とピストルを持った人にだけでなく、より人間的で団結し
て全ての人に良い生活を与えようとする代替案。
我々は代替案を持っているのか?我々は本当にそれを持ちたいと思っているのか?
私は確信が持てない。多くの人が本当に代替案を持ちたいと思っているかどうかについて私が確信を持てない理由を説明するために、最近3つのそれぞれ異なっ
た国々で行われた選挙で、戦争犯罪者がそのリーダーに選ばれた点を指摘したい。その3つの国とは、米国、オーストラリアそしてイギリスであり、それぞれ
ブッシュ、ハワード並びにブレアのことである。オーストラリアとイギリスでは、国民の大半はイラク戦争に反対であり、国民に対して行われた戦争に関する説
明は大嘘であり、そのうそはこれら犯罪者が選挙で勝利する前には全ての人々に十分に認知されていたにもかかわらず、ハワードとブレアは、国民の過半数の賛
成を得て再選された。要約して言うと、これら2つの国では(日本同様)、国民の大半はイラク戦争に反対であったにも関わらず、ハワードとブレアを再選し
た。違法な戦争に参加し、これまで(石油のために)10万人以上のイラク人の殺戮に荷担した犯罪人(小泉も同様)をである。ハワードとブレアが再選された
主な理由は、経済的達成に基づくものであって、投票した大多数の人はそれにかなり満足していたと言える。私にとっては、これらは次のように聞こえる。「我
々は戦争には反対であるが、そこから利益を得ることはかまわない。じゃ、イラク人を苦しめてやれ!!」
さて、これで経済の問題に戻ってきた。これはやっかいな問題である。それはわかっている。しかしビルマ人が言うように、「理解に苦しむことは目の前に置こ
う。理解し易いことは後ろに置こう。」さて、もしだれかが私に、何が出来るのかと聞くならば、私の答えは、「わかりません」となるだろう。だから我々は全
て一致団結して一緒に考え、行動し、計画とビジョン(将来への展望)を作り上げ、現状は手に入る最高の状況であり、他により良い代替案などないと考える人
々とそれを共有する必要があるのだ。
ここに我々活動家が入る訳だ。我々の中に、人々は代替案を見出しているのだろうか?主流を行く政党に対する代替案を?何故ほとんどの人々は60年近くにも
渡って、自民党にべったりくっついて来たのだろう?この政党は犯罪的帝国主義者である米国の冒険に付き添ってきており、1945年以来毎年少なくともひと
つはそれが行われており、その直近の例がイラクである。日本人は、これまでいつもこのように受身で無関心でいくじがなかったわけではない。1950年代、
60年代及び70年代において、日本は大規模で暴力を伴った反政府抗議運動に揺さぶられた。それらは、自民党の権力を強める以外には特に目立った成果はあ
げなかった。自分は平和主義者ではなく、彼らの暴力を非難する訳でもないが、彼らの暴力は空虚で、理論や行動計画、将来への展望、代替案並びに目的に欠け
ていると思う(この暴力の部分を除けば、まさしく現在の我々の姿に等しい)。感情の爆発以外の何物でもなかった。それでも我々は彼らが試みたことに対して
は賞賛すべきで、それから学ぶことが出来る。我々は多くの題材(材料)を持っており、そこから学ぶことが出来る。我々は同様に、1871年のパリコミュー
ンや1884年の秩父暴動のような歴史上のいくつかの出来事からも学ぶことが出来る。私はこれらの事件の組織的(「組織は大きな影響力を持つ活動をする際
の基調である。」メアリー・エリザベス・リース、1890年)並びに感化的側面と、集団及び団結した時の力(パワー)のことを話している。これ以外にも、
ずっと近年になってからの事件として、ボリビア、エクアドル、ブラジルのような、組織化され人々の力を約束した行動力を見せ付ける例がある。これまでで、
最も成功し最も感化的だったものはベネズエラである。そのポイントは次の通りである。
「その戦いは規模をますます拡大して何度も何度も起きなければならない。そして最後に、特定少数者か巨大な労働階級の大多数のどちらが勝利者になるかは疑
う余地もない。」出所:"フランスの内戦"カール・マルクス著
私がここで述べたような国々において、このような結末に到った事情は今日の日本のそれとは異なっていることはわかっている。しかし私が目指しているのは、
もし人々が団結して組織となれば、もし労を惜しまず、行動計画を持って、目的とビジョン(将来への展望)を掲げ、自分たちの運命をその手に握れば、どんな
ことでも可能となる、という事実である!!サム・スミスはかつて次のように述べている。
「我々は歴史の時期は選ぶことはできないが、そこで何をするかは選ぶべきである。」
しかし、我々にはどの程度現状を揺さぶる気があるのか?つまり、物事はこれまでのところきわめて良好に進んでいるのに、現在の日米関係において、何かを変
えようとするのだろうか?ここで私はフランス映画の"La
haine(ラ・ハイン)"を思い出す。それは"憎しみ"という意味だ。この映画では、男が一人高層建築の屋根のてっぺんから落ちるのだが、落ちながら死
に到るまでの間、自分自身に「ここまではまず順調だ」と言い続けるのだ。
犯罪的帝国主義者である米国の外交政策(そこに経済的繁栄が委ねられているのだが)及びその殺人的な経済システムに対して日本は最も忠実な共犯者であっ
て、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの言うところの、「地球上で最も偉大な暴力の提供者(それは自分自身の政府のこと)」に対して日本の人々は自分
たちの無言の支援により(及び自分たちが支払う税金を使って)、その果実(経済的繁栄)を刈り取っている。これらのことを全て知ると、日本の人々は米国の
犯罪に部分的には責任があるということになる。なぜなら、1945年以降、世界中で行われるアメリカの爆撃やその他の犯罪的軍事活動の一部で、その最も直
近のものはイラクであるが、日本はその足場として使われ続けてきたからである。次の文章は、ウイリアム・ブルームが、日本の最高の友達について描写したも
のである。
「1945年から20世紀の終わりにかけて米国は、40以上もの外国の政府を転覆させようと試み、受け入れることができない政権と戦う30を超える人民主
義者/国家主義者の活動を壊滅に追い込んだ。その過程で米国は、何百万人もの人々を死に追いやり、更に何百万人もの人々を苦悩と絶望に満ちた生活に追い込
んだ。」
責任ということで言えば、日本のケースでは、最も悪質な国際犯罪(イラクへの侵略戦争)に荷担した訳であるから有罪の中に含まれる。私はワード・チャーチ
ル著の"とまり木に止まっている鶏の正義の上で(On the justice of roosting
chickens)"という本を推薦したい。その中でチャーチルは、ドイツの哲学者カール・ジャスパーズによって1945年に発行された有罪について図解
している部分を(多少校正した形で)引用している。
1) 犯罪の罪
2) 政治の罪
3) 道徳の罪
4) 抽象的罪
2)政治の罪には次のような記述がある。自分達の政府が、国内のみならず国際的にも、その法令が定める規律を堅く守ることを、いかなる手段を用いようとも
必須となることを確保することは、近代的国家においては国民全体の責任である。そこには傍観している者はいない。だれ一人として、"政治に無関心"だから
と言ってその義務から免除される権利はない。もちろん、犯罪者として公に烙印を押された場合や、国民がそれに効率的に対抗することに失敗した場合には、こ
れは機能しないが、その場合の責任は全ての人々にある。最もその責任の程度は、犯罪を最も積極的に支持していた者から、最も積極的にそれに反対していた人
々の間を横断的につなげた中で、そのどこに該当するかで決まるのかもしれないが、誰一人として"無罪"ではない。」
4)抽象的罪:「これはどの特定の罪状においても有罪にならないものの、人間性に対する犯罪が自分達の名前で行われている間も、目をそらして、ただ座って
いただけの人に最も重くなる。それはまた同様に、我々は何らかの形で何らかの程度に対抗勢力側に登録されているかもしれないが、我々がそこでそれらの犯罪
を防いだり、阻止するために戦う中で、無条件に自分の命をかけることをせず、我々が本来ならやれていただろうことをしなかった者全てに同じように該当す
る。他の人間が、計画的に征服され、追い出され、拷問に合い、殺されている一方で、生き残ることを選んだもの全てに、議論の余地なくこの罪は当てはま
る。」
次は我々全員に。「紙に書いて抗議するだけに甘んじ、或いは危険のない政治を演じることは責任のがれである。」カール・ジェイパーズ、ドイツの罪、
P56、P85
さて、日本はアメリカの犯罪から決別し、より良い方法、誠実で正直な方法で生活を営む道を見つけようと試みるのか、それとも、イラクの安い石油が流れ込ん
で来るのを待とうとしているのか?米英によって導かれた(更なる)違法な戦争及び日本も共犯者である違法占拠において、殺されたイラク人の数は10万人を
超え更に増えつづけているが、その命によって支払われた石油を?
時々私が日本人に、ヤンキーに家へ帰れと言うことについて話すと、一部の人間は同意するかもしれないが、10人中9人は北朝鮮の事を会話にはさんでくる。
日本人の一部は、北朝鮮を真に恐れているが、ほとんどの人にとっては、日本がアメリカの背後に隠れ引き続き米国の略奪品から利益を得るための口実にしか過
ぎない。いずれの場合にしても北朝鮮は、単に60歳近い犯罪者の怒りを買うだけで他には何もせず、その一方でヤンキーとの利益的な関係を保てる本当に都合
の良い赤鬼役である。そのため北朝鮮は我々活動家にとって、"大衆"をあやつり、精神状態を麻痺させるような愛国心をかきたてるために我々の政治家によっ
て利用され、臆病で卑しく真実をやみに葬る主要メディアを通して広げられた、間違いで永久的な恐怖と危険の雰囲気を追い払うために立ち向かわなければなら
ないもう一つの問題である。ヒットラーは言った、「人々が考えないことは政府にとっては何と貴重な財産であることか」と。
この話は既に十分に長くなってしまったので、北朝鮮問題に対する私の考えを述べるのをやめて、日本では愛国心がフィーバーしているようなので、Guy
de
Maupassant(ギード・モンパサン)が愛国心について語った事を紹介しよう。「愛国心とは一種の宗教である。それは卵の形をしていて、そこから戦
争が孵化するのである。」
この話は少しまとまりがなく、時々混乱しているように映るかもしれないことは承知しているが、要約すると、これは我々活動家についての話であり、日本が現
在の道を進んで行った場合の危険性、責任そして不道徳に対して人々の目を覚まさせるために我々は何が出来るか(電気ショック?ほんの冗談)について書いた
ものである。我々はより多くの人々が我々の側へ来てくれるような方法を見つけなければならないが、我々がばらばらで組織化されず口論ばかりしていたので
は、それもできないだろう。我々は、自分自身を捕まえてしまっている現在の輪の中から抜け出す方法を見つけなければならない。ここで言う輪とは、例えば、
講演をしたりすると、主に同じ考えを持った人々が出席する。我々が出版するものも同様に、主に同様な考えを持った人々の手に渡るが、我々は、ここ日本で
は、この輪の中に単独でいる訳ではない。代わりとなるメディアに関して言えば、日本語ではまじめなものはほとんどない。英語から或いは英語へ翻訳されてい
るものもほとんどない。世の中には豊富な情報があり、世に出たがっている。チョムスキー、ピルガー、ブラム、フィンクなどといった偉大な人々の名前でさえ
も、活動家の輪から一歩出てしまえば全く知られていないに等しい。これは事実である。信じてほしい。私は語学学校でフランス語と英語を教えており、そのよ
うな人々に毎日遭遇しているから知っているのだ。時々私の生徒達に、上に挙げたような人々の名前を知っているかどうか聞いてみると、ほとんどの場合は、ぽ
かんとしている(最も生徒の一部は私の名前さえ知らないが)。チョムスキーには時々ぴんと来るが、主に言語学者としてである。この(自然発生的な)無知
は、特定の年齢層に限られた話ではない。私はありとあらゆるジャンルの人々に教えている。我々活動家は、より広い範囲の人々に手をのばす方法を工夫するた
めに、もっと協力するべきである。例えば、幻滅した人、失望した人、冷淡な人、無頓着な人、無知な人、後悔している人、生徒、主婦、賃金労働者、サラリー
マン、一時雇用者、失業者等々。我々は、人々の精神に希望、意思、思想、行動、抵抗、変化、参加、結束、責任、率先、犠牲、団結等の種を植えていかなけれ
ばならない。
民衆の力の種を!!!
我々活動家はその種であるべきだ!!!我々が道を開かねばならない。
ここで、パティ・スミスの「人には力がある(People have the
power)」(1988)という歌の最後の部分を紹介してこの話は終わりとする。(私はこの歌を、ハワード・ジンの偉大なる本「アメリカの民族の歴史の
声」(Voices of a people's history of the United States)の最後の部分で見つけた。)
人には力がある。
人には力がある。
人には力がある。
人には力がある。
治める夢を見る力を
世界におろかさから目を覚ます笛を吹き
人のルールを定めた
人のルールを定めた
聞きたまえ。私は我々が夢見ることは全て
我々が団結すれば実現できると信じている
我々は世界の方向を変えることが出来る
我々は地球の自転を変えることが出来る
我々には力がある。
人には力がある。
パティ・スミス
今や改革のブルドーザーをスタートさせる時だ!!!
我々、人類は歴史の作り手なのだ!!
ブルキッチ・スレイマン
2005.6.10
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